カワリモノ息子の技術メモ的な~

カワリモノ息子とその母の技術メモ的な〜

学校が苦手な息子くんの作品とその母の作品、はたまた日常などいろいろを在宅エンジニア母が綴る

私のエンジニアライフの振り返りと嬉しかったこと

本記事はQiitaのアドベントカレンダー「女性エンジニア応援!エンジニアとしてやりがいを感じた経験談をシェアしよう!」に向けて書きました。

私について

 私はアラフィフのおばちゃんです。
 決してバリバリのエンジニアではなく、のほほんとしたエンジニアです。いや、私なんぞが女性エンジニアだとか語るの恥ずかしいんですけど。ひとりの経験談として書かせていただきたいと思います。

 大学新卒で電機メーカーにシステムエンジニアとして就職して以来うん十年、途中少しブランクありつつやっぱりプログラムを作ることが好きで勤め先を変えながらこの仕事を続けています。

 近年では週3日程度、Webシステムのフロントエンドだったりバックエンドだったりを機能追加したり改修したりしてお金をもらっています。

 そもそもなんでエンジニアになろうと思ったかというと、大学生のときに「プログラミング楽しいな!」ってなったからです。
 大学は情報科とかではなく学校で最初に習った言語はFortran(当時でも古の言語だった)、あとは卒業研究でC言語を使ってた感じでした。

 そして楽しいと思ったプログラム作ることを仕事にすることができました。
 思い返せば当時は、全くの未経験の文系の人でもシステムエンジニアに就職することができたような時代でした。
 

思い返せば最初の会社は超ブラックでした

 最初に入った会社ではそれはもう馬車馬のように働きました。

 結構過酷な労働環境で、同期には同じく新卒で男性が10人程度と女性が私のほかに2人入りましたが女性はすぐに2人とも辞めてしまいました。

 当時のPMがものすごく厳しい言葉をぶつけてくる人で私は毎日ストレスによる腹痛がありました。それでも辞めなかったのは負けたくない気持ちとそのほかの社員さんたちとの仲は悪くなかったこと、それでもプログラムを書いている間は楽しいと思えていたからだと思います。

 3日くらいは家に帰らず寝ずに会社で仕事をすることもあったので今だと完全アウトです。1か月間休みの日がない月もありました。
 今思い返すとこの経験も私の能力を高めてくれるひとつになったのだと思いますが、それよりも自分を大切に早めに転職してたらよかったんじゃないかと思いますね。
 こちらが出した工数見積りは説得されてこれでもいけるといつも極端に短く加工され、その工数で終わらなかったら終わらせられなかった人が悪いのでサービス残業は当たり前、そういう考え方でした。
 もう全員が全員これだったのでこういうもんかと。
 最初に勤めた会社だったのでこれが普通だと思い込んでいました。やばい。

エンジニアになって良かったこと

退職・出産しても復職が簡単

 結婚後も最初に入った会社をそのまま続けるつもりでしたが、無理がたたって病気を2つ立て続けに患い、これは辞めろという神のお告げだと感じ、あれだけ続けることにこだわっていたのに案外すんなり辞めました。

 その後妊娠・出産し、息子が幼稚園に入ってから復職を考えるようになりました。(後にこの息子がまだ成人もしないのに私の能力を追い越すことになろうとは、というのはまた別のお話)

 求人情報を見ると、プログラマーのパートタイム勤務(週3~、4~5時間勤務)みたいな求人が数多くはないですが案外ありました。スキルのある人が応募条件なので倍率は高くありません。改めて手に職あってよかったなと思いました。

 私は4年くらいのブランクがあるうえ何もこの業界の情報を追っていなかった(このあたりがのほほんエンジニア)ので「もうきっとついていけない」と思いテスターならできそうとテスターを募集している会社を選んでそこに勤めることにしました。

 ただ入ってみるとテスターと言いつつテストコードをJUnit(Java)で書くような仕事で本体のプログラムのコードも読むしあまりプログラマーの仕事と大差なく、「なんだまだいけるかも私」と思うようになりました。

 それからいくつかの会社をプログラマーとして同じようなスタイルで転々としている形です。

 この勤務形態になって思ったのは、「プログラムだけ書いてればいいからとても楽しい」ということでした。前の会社では年数勤めたのもあってPM的な作業を任されていたのが私の性格的にとても苦痛でしたがそれは一切やらなくていい。
 しかも大きな責任を背負わなくていい!社員ほどの給料がなくてもこんな楽な(自分に合った)働き方があるなんて!と感動しました。

電子工作という新たな世界へ

 人生というのはわからないもので、仕向けたわけではないのに私の息子が超テクノロジー大好きっ子として成長してしまいました。ハードウェアもソフトウェアも好んでいます。
 先ほども書いたように私はのほほんエンジニアなのですが、息子さんは毎日技術を追ってるような子でそれが趣味というガチです。

 現在17歳のそのガチ息子さんは小学生のときに電子工作というハード系の遊びに目覚めました。
 私はソフトしかやってこなかったので全くわからなくて「爆発するんじゃ?怖そう」と心配し小学生の子供を怪我させるわけにはいかなと思い自分もハードウェアのお勉強を少しはじめてみました。
 そこからマイコンとかを触るようになったのですが、これが、とても、面白い!!

 ハードウェアといいつつそれを動かすソフトも書かないといけないのですがそれは今までの知識がありそう悩まずに書けるし、全然わからない部分と慣れた部分とで、そのバランスも良かったんだと思います。

 今までは画面上のソフトが動いていただけだったけど実際のモノが動かせるようになるやれること・やりたいことがすごく広がってとても楽しく感じました。

 その延長で福岡市のエンジニアカフェでの勉強会に時々参加したりするようになりました。

 そして電子工作をやっていくうちに、CuteeWorks というカワイイ電子工作をするコミュニティの運営にもお手伝いさせていただけることになりました。オルゴール基板を作ったりCADを学んでその筐体設計をやったりしました。

 そしてこのコミュニティ「エンジニアフレンドリーシティ福岡アワード 2024」のコミュニティ部門で受賞して本日(2024/12/19)授賞式でした。CuteeWorks代表のやまださんが市長からトロフィーと副賞をうけとっているところ、受賞後のLTをやっているところをしかと見届けてきました!やったね!

▼ 福岡市の高島市長

▼ CuteeWorksの紹介

efc.fukuoka.jp

さいごに

 どの職業でも楽しい部分と大変な部分はあると思いますが、私はエンジニアになってよかったと思います。
 仕事でも趣味でも、良い仲間に出会えて良かったです。

 あと、ソフト系エンジニアの皆様にはぜひハードウェアが絡むマイコンの世界もかじってみてほしいなと思います。私がそうであるように楽しい人は楽しいと感じると思います。

 そしてガチ勢のわが子はなかなか難しいところありつつ、会話のほとんど技術的なことばかり言ってくるので面白く私ものほほんとしていられません。

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▲ 授賞式・懇親会後のエンジニアカフェを出たところ。今日もありがとうございました!