不登校を振り返る
息子さんは結局中学校は三年間一度もクラスに顔を出すことはなく出席しませんでした。
不登校の原因はいろいろありますが、一番は集団行動が苦手でありやることを強制されることがとても苦痛でどうしても学校に馴染めませんでした。
「そんなのみんな我慢してるやん?」と言う人もいると思います。でも、彼は我慢して通うということもできないほどの苦痛を感じています。
思い返せば、幼稚園の頃から行き渋りでした。
小学校に上がり別室登校など親子で泣きながらもあの手この手で学校に通わせていましたが、限界が訪れ小5頃から全く学校には行かなくなりました。
でも息子さんはものづくりが好きで常に「やりたいこと」があって家でも精力的に活動していたので「きっとこれが将来の職業につながるだろうし、もうこれでいいや」と思うようになりました。
そう思うようになってから、小学校・中学校では担任になる先生に息子はこういう活動をしている、今はこんなものを作っている、と伝えるようにしました。息子さんは自分からはそんな話をしないのでいつも私から伝えていました。
やはり学校の先生によっては「学校に来た方がいい。みんなとお勉強しなさい。」と思う先生もいらっしゃると思いますし、わからないですが先生たちの世界で不登校を減らせと上からのプレッシャーもあるかもしれません。
私は我が子がものづくりを頑張っているアピールをすることで「学校に来なさい」と言われないように必死だったところがあります。
もしそう言われてしまうと断れず私が頑張ってしまって私も子供も潰れてしまいそうだったので…
有難いことにそういう話を面白がって聞いてくださる先生ばかりでした。近年の学校の方針もあるのかもしれないですが、学校に来なさいとは決して言われませんでした。
そして完全不登校になってから息子さんは以前に比べて笑顔が増えだいぶ穏やかになりました。
(だからといってデメリットもあり決して不登校を勧めたいわけではありません。)
中学校卒業
先日、在籍中学校の卒業式がありました。
そんなわけで卒業式ももちろん欠席したのですが、担任の先生から卒業証書を受け取るため卒業式が終わった後にひっそりと学校に行きました。
小学校の卒業式も欠席でしたが卒業式後に学校に親子で行き、校長室で校長・担任・その他先生方に囲まれて生徒はうちだけというVIP卒業式をやっていただきました。
今回の卒業式はというと、息子さんは不登校が長くなるにつれ学校への嫌悪感と恐怖心が大きくなっていて「学校の校舎に入れない」というので車で乗り付け先生に車のところまで来ていただき卒業証書を受け取りました。
中学校の担任の先生
担任の先生は教師歴わりと長めな男性教諭で、中学の3年間担任してくださいました。
時々家庭訪問に来られるのですが、おもしろい話ばかりされて息子も打ち解けていました。良い意味であまり先生ぽくない先生で生徒からの人気が高く本当に良い先生でした。
人生最後となるであろう通知表は不登校のため変わらずオール1なのですが、横に手書きの赤い字で(イメージ)と書かれて各教科に点数がつけてありました。数学・理科は高めで体育は低め。先生、うちの子の何の勉強も見たことないのに!面白さと嬉しさが混ざった笑いが出ました。
先生ありがとうございました。
進路
実はN中等部のネットコースも続けられなかったこともあり(途中退学しています…)どうやっても「進学は無理」と言い、ここで強引に通信制高校とかに行かせても単位取れずに終わることが目に見えているので、息子さんの希望どおり進学しないことにしました。
私と夫は大学まで進学して良かったと思っているし勉強はやっておいたほうがいいということは伝えてきていると思っているので、それでも本人の気が向かないのなら気が向いた時に勉強・進学してもらうしかないのかなと。本人的にはそういう気持ちになる日は来ないと言ってますが。
かといって働けるかといわれると、技術的なスキルはあっても精神年齢が足りないのでまだまだ難しく。時間をかけてぼちぼち食べていけるだけの稼ぎができるようになってくれたらいいなと思っています。
有難いことにお仕事の形ですでにご依頼いただいているものもあります。
これからどうなるかはわかりませんが、私が地味に息子の活動を支えて周囲に繋げてきた成果があったのかなと思うと、こうやってきて良かったのかなと思えてほっとします。
近年息子さんは精神的にも不安定で「楽しいことは何もない」と悲しいことを言うので、とにかく「人生楽しい」と思えるようになってほしいなと思っています。
人生楽しいと思いたいなら楽しい学生生活が送るのが良さそうなんだけど〜と思いますがそれは私の決めつけなのかなと。
親も子も、日々葛藤ですね。
カワリモノ息子はフリーター息子になります!
4月からもよろしくお願いします。
▲ 福岡市動物園のカバ